【すし屋の娘直伝!】にぎり寿司の発案者?!華屋与兵衛

最終更新: 6月19日


にぎり寿司の発案者については数説あります。


その1人である、華屋与兵衛。

1799(寛政11)

福井藩出入りの八百屋の息子として生まれる

祖父と父

泉の精を持つので元は、武士階級の可能性があり、のちに福井藩出入りの商人になるため、福井藩の下級武士かも?


9歳

江戸の札差(ふださし)の板倉屋清兵衛家に奉公に上がる。

(札差とは、旗本・御家人の代理として、禄米を受け取り、また金貸しなども業とした人のこと)


20歳

板倉屋を辞める。

貯めたお金で、古物商、干菓子屋などをする。


1818-1830年(文政年間)

すし屋を始める。

すし屋といっても、店ではなく、歩き売りで始めます。


本所横網(現在の墨田区横網)の母屋に住んで、

松井町(現在の墨田区千歳)あたりを深夜まで歩いていたそうです。

そして、尾上町(現在の墨田区両国)の寺・回向院前に小さな寿司屋を持つ=与兵衛ずし


1910(明治43年)「家庭 鮓のつけかた」 著者:小泉迂外(うがい)

与兵衛ずし4代目・小泉喜太郎の弟が、握り寿司を企てたものも2-3はありましたようですと書いています。


2代目与兵衛の子で、迂外の叔父に当たる、吉田久兵衛が「またぬ青葉」で、

握りすしがはじまった頃は、ご飯が多くて下品と言われ、握ったご飯に魚を乗せてから笹の葉でしきり、箱に押して詰めた。

重石を置いて、3-4時間はかかった。

魚の脂は抜けてしまうから、初代は握り早漬けを始めたと書かれている。


この話からすると、与兵衛はそれまであった握り寿司を改革し、完成させ、それで名を馳せた人だと思われます。改革した人というのが正しいのではないでしょうか。


#寿司屋  #寿司 #食べ方 #東京  #マナー  #歴史  #寺子屋  #旅行  #郷土料理 

#華屋与兵衛 #にぎり #にぎり寿司 #発案者 #講座 #体験型講座

2回の閲覧
​2019 Susy's Zoo Japanese & Nail
  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • YouTube