東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。
皆さんは、江戸時代のすし屋はどのような形態だったかご存知ですか?実は、屋台が主流だったんです。
な・の・で…今回は、江戸時代の屋台のすし屋を段ボールで再現してみようと思います!
すしの移り変わり
すしの原型は「なれずし」と言われる、魚、塩、米飯を乳酸発酵したもので、食べるまでに小魚でも数ヶ月くらいかかったと言われています。
この間に飯は発酵して形がなくなり魚だけを食べていました。
室町時代になると「生なれずし」が登場。
これはひらきにした魚の中にめしを詰めて、半月から1ヶ月おいたものを食べるもので、飯も魚と食べるものです。
江戸時代前期の人が食べていたのは、この生なれと言われています。
江戸中期、宝暦年間(1751-64)になると、自然発酵で飯が酸っぱくなるのを待たずに、飯に直接酢を加え、鮨飯を作る「早ずし」が開発されました。
1680年ごろ、上方(京都及びその周辺)から、江戸に箱ずしなどの作り方が伝わります。
中期には「すし」といえば、すし飯に魚の切り身をのせておす「押し寿司」という時代が続きました。
酢漬けや塩漬けした魚と酢を混ぜたご飯を重ねて、強く押して形を作り、数時間から一晩置いて味がなじめば食べれるという寿司です。
粕酢が尾張国のから大量に江戸に入ってくる様になり、握った飯の上に味をつけた魚介やたまごをのせた握り寿司が、待たずにすぐに食べられるすしということで大ヒット。
すしを売る形態
1682年ごろ、寿司を売る形態は屋台が主流で、店を構えるのは2軒だけだったそうです。
1820年くらいに握り寿司が流行したと言われていますが、この頃は、屋台で売られていました。
屋台で売られていた安い食べ物だった握り寿司は、食事というより、軽食やおやつのような感覚で食べられていたと言われています。
敬遠されたマグロ
ただ、漬けにすることで、色が黒っぽく変わるため、高級店ではマグロが敬遠され、値段の安い屋台などで多く売られていたと言われています。
屋台のすし屋を段ボールで作ってみる!
今回は、1682年頃に主流だったと言われる寿司を売る形態、屋台を段ボールで再現したいと思います!
Youtube
参考:地球食べ物大百科14・江戸前ずしに生きる (間根山貞雄)・すしの事典(日比野光敏)・江戸グルメ誕生(山田順子)・屋台の寿司・屋台を作ろう!
まとめ
屋台のすし屋。どのくらい再現できるかな?
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