東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。

カウンターのある寿司屋は高級というイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。

今回は、なぜ「すし」は高いイメージがあるのかについて、歴史から見ていきたいと思います。

すしの起源と酢飯の誕生

すしの起源なれずし
室町時代なまなれ・ほんなれ
江戸時代早ずし

すしの起源は、主に魚を塩と米飯で発酵させて酸味を出した「なれずし」というものです。「なれ」とは、「発酵」という意味です。ペースト状になった米は捨てて食べていました。

室町時代になると米の生産が増え、一般庶民も少しはご飯を食べられるようになりました。そこで、「米も捨てずに食べよう!」と発酵期間を短くし、米も一緒に食べる「なまなれ」や「ほんなれ」と呼ばれるものになります。

江戸時代になり、「すっぱしですし」だから、待たずに食べられる「酢」を使った「すし」、「早ずし」が生まれました。これが現在の酢飯の誕生です。

握り寿司の始まり

握り寿司は、元々東京の郷土料理でした。

江戸時代は、ご飯を詰め、魚をのせ、箱で押した「押し寿司」が主流でした。手間がかかるので、手で握ったらどうかと作った「握り寿司」が江戸っ子の気質になったのか、大人気になっていたと言われています。

この頃の握り寿司は、気軽に食べられるファーストフードでした。

屋台の握り寿司と高級食としての寿司

江戸東京博物館

屋台で売られていた安い食べ物だった握り寿司で、食事というより、軽食やおやつのような感覚で食べられていたと言われています。これは、単身赴任できた男性や肉体労働者が多かった江戸の人々にあった食べ物だったようです。

しかし、江戸の終わりになると、屋台の握り寿司に高級路線を歩む店が出てきたと言われています。「松が寿司」という値段がとても高いことで有名になったと言われている店です。

安い店は「屋台」、高級店は「料亭」という2路線でき、気取らない食べ物として人気だった握り寿司は、屋台は衛生面と交通安全面から昭和20年までにすっかり消えてしまったと言われています。

Youtube

参照:『すしの絵本』(ひびのてるとし)

江戸グルメ誕生(山田順子)

東京家政大学博物館紀要(著者:越尾淑子、猪俣美知子)

まとめ

今では東京の郷土料理だったことを知らずに、いろいろな握り寿司が作られています。

「すし」は高いイメージがあるかも知れませんが、固定概念に惑わされず、歴史をたどり「江戸前寿司」とは何か、使っている魚、技術などを自分の目で見ていくことで、カウンターのある寿司屋でも安くて美味しいお店を見つけることができるかも知れませんね。

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