東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。
「すし」について深く考えることはないかと思いますが、「すし」の起源をご存知ですか。
すしといえば握り寿司を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、握り寿司は江戸時代にできたものです。では、握り寿司の前はどんな寿司を食べていたのでしょう?
今回は、平安時代末期の今昔物語集の「すし売りの女の話」から昔の「すし」を考えてみたいと思います。
すしの起源
すしは元々、主に魚を塩と米飯で発酵させて酸味を出したが、これが「酢シ」という名称が生まれている起源とも言われています。
そして、発酵期間を短くしたすしが生まれ、江戸時代に江戸っ子が待たずに食べられる「すし」を作ったという説があります。それが現在の酢飯の誕生です。
そして、握り寿司ができたので、握り寿司は東京の郷土料理でした。
『今昔物語集』とは
『今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)とは
平安時代末期に成立したと見られる説話集。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けています。 『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事に由来する便宜的な通称です。
今昔物語集の「すし売りの女の話」
簡単にお話をまとめると、露天ですしを売っている女が、二日酔いで売り物の上に嘔吐してしまいます。しかし慌てずに手でこそぎ落として素知らぬ顔で商売を続けたというお話です。
「すし売りの女の話」から考えられる当時の「すし」の特徴
①嘔吐のにおい
何ヶ月も発酵させててにおうものだったのではないか
②ご飯は食べなかった?
ご飯は洗い流してから、少なくとも落としてから食べるもの
という特徴を見ることができるのではないか。
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まとめ
今回のお話は食欲が落ちますが、このように昔のお話から昔の「すし」について考えることもできるのではないでしょうか。他に何か考えられるものがあれば教えてください。
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参照: 『すしのひみつ』 日比野光敏 著 / ウィキペディア