東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。
皆さんは、「頼まれると通だと思うネタ」をご存知ですか?
以前、寿司職人が「通だと思うネタは小肌」と答えているテレビを見たことがあります。
しかし、コハダを注文しても、職人さん「この人通だなー!」と思わないかもしれません。
では、なぜ「通だと思うネタは小肌」と答えたかを歴史的に解説していきたいと思います。
握り寿司の始まり
握り寿司は、元々東京の郷土料理でした。
江戸時代は、ご飯を詰め、魚をのせ、箱で押した「押し寿司」が主流でした。手間がかかるので、手で握ったらどうかと作った「握り寿司」が江戸っ子の気質になったのか、大人気になっていたと言われています。この頃の握り寿司は、気軽に食べられるファーストフードでした。
江戸前の手法
握り寿司のネタには、江戸前の海で取れる小肌、車海老、白魚、穴子などがありました。
冷蔵庫のない中、魚を安全に食べられる様に、酢でしめたり、蒸す、煮るなど一手間加えていました。後に、マグロを醤油漬けにした「ヅケ」なども加わって、ますます人気は上昇したと言われています。
「わさび」と「がり」
握り寿司につきもののわさびとがりもこの時代にはすでについており、ほぼ現代の握り寿司が完成していたと言われていますが、寿司の薬味として使われだしたのは江戸時代後期に握りずしが流行して広まったと言われているが、江戸時代の書物「守貞漫稿」によると、マグロの刺身と小肌にのみわさびを挟んでいたといわれています。
江戸前寿司を代表する「小肌」
江戸前寿司を代表する「光りもの」といえば小肌。
江戸時代は小肌を食べなければすしの通人ではない、江戸っ子ではないとまで言われたと言われています。
Youtube
参考:『すしの絵本』(ひびのてるとし) 『江戸グルメ誕生』(山田順子)
まとめ
現在でも、「関西では小肌って見ないね」などという話を関西の方から聞きますが、江戸前寿司の代表である小肌。江戸時代には、小肌を食べなければ「寿司通」ではない、「田舎者」などと言われていたということを考えると、関西人が知らないのも納得いくかもしれません。
この歴史や文化を知ることで、小肌を食べる時は、握り寿司ができた頃から酢で締められて作られていたこと、東京以外の人は小肌を知らなくても、こんな歴史があったからだと、思い出すことによって、心豊かに楽しめるかもしれません。この様に、歴史や文化などを学び、色々な楽しみ方を自分なりにできる方が本当の「寿司通」かもしれませんね。
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