東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。
皆さんは、寿司屋は加工業者だったことを知っていますか。
今回は、なぜ寿司屋が加工業者だったかを紹介したいと思います。
握り寿司の誕生
握り寿司は、東京の郷土料理でした。江戸時代は、ご飯を詰め、魚をのせ、箱で押した「押し寿司」が主流でした。手間がかかるので、手で握ったらどうかと作った「握り寿司」が江戸っ子の気質になったのか、大人気になっていたと言われています。この頃の握り寿司は、気軽に食べられるファーストフードでした。
なぜ握り寿司全国へ広まった?!
全国へ広まった理由はいくつかありますが、第二次世界大戦後、日本が厳しい食糧不足に見舞われました。その時のある決まりがきっかけでした。
マッカーサーと戦った寿司職人
1947年(昭和22年)、マッカーサが率いるGHQ(連合国最高司令官総司令部)が、決められた施設以外では米の飯を出しては行けないことにしました。その時、寿司屋でも米の飯を出しては行けなかった為、寿司店の組合が立ち上がり、「米は客が持ってきて、その米の飯を加工する『加工業者だ!』」といい、「委託加工米制度」の店として営業を続けることを認めさせました。
握り寿司は全国へ
いくつかきっかけはありましたが、中でもこの委託加工制度で全国各地で握り寿司を食べられるようになりました。なぜなら、他の地域で寿司屋をやっていた職人も「握り寿司なら、握るという加工によって、寿司店を続けられる!」と思い、全国に握り寿司が広まったと言われています。
Youtube
参考:『すしのひみつ』日比野光敏 ・『知って楽しいキャラ図鑑 みんなの寿司ワールド』小川洋利
まとめ
マッカーサーのこの指令がなければ、現在のように握り寿司も全国に広がらず、東京でしか食べられない握り寿司だったかもしれませんね。
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