すし屋のシャリ(酢飯)の作り方と歴史

東京のすし屋の娘でもある、江戸前寿司伝道師Satomiです。

すし屋の酢飯ってお店によって違いますよね?

一人前の寿司職人になるためには『飯炊き三年握り八年』と言われるように、最低でも約10年の修行が必要と言われています。

寿司職人の修行についてはこちら

今回は、その「酢飯の作り方の変化と酢」についてお話しします。

シャリとは…?

シャリとは、すし屋の専門用語で「酢飯」のこと。

江戸時代から一般の人も使うようになったと言われています。

漢字:舎利

語源:サンスクリット語の「sarira(シャリーラ)」

意味:遺骨、死骸、身体

僧侶は、小さな水晶の粒の仏舎利(ぶっしゃり)を見て、「米粒のようだ」とご飯のことをシャリと呼んでいました。

仏舎利とは、釈迦の遺骨のことを指す言葉で、

①釈迦が亡くなったあと火葬され、残った骨が真っ白で米粒に似ていたことから、ご飯をシャリと言うようになった。

②分骨された仏舎利が、とても小さく米粒に似ていた。

その後、僧侶が使っていた隠語が一般にも伝わり、すし屋などで使われるようになったと言われている。

現在では、シャリは酢飯を指すことが多いが、酢飯だけではなく、ご飯のことをシャリと呼んでいました。

ちょっと怖い「シャリ」のお話はこちら⬇︎

酢の種類

「赤酢」と「米酢」があります。

「赤酢」 酒粕だけを原料とした酢で、飴色をしていて香ばしい風味。

「米酢」文字通り、米から作った酢。

赤酢を使っていた理由

江戸時代や明治の初めの江戸前のすし屋は、赤酢を使用していました。

酒を絞った後は捨てられていた酒粕を原料としているから安価だったことが理由のようです。

その後、酒粕を原料とする赤酢から米を原料とする米酢に変わりました。

酢の変化

昔の合わせ酢は、酢に含まれる甘味だけで十分だったようですが、戦後、有名ブランドの酢でも戦前のものと変化がありました。昔の酢を作るのは、値段が高すぎて売り切れないから作り方が変わったようです。

酢、そのものの品質が変わっていることも、砂糖を使うようになった一因と言われています。

昔のシャリの作り方

鼻にツーンとくる酢の香りが特徴の赤酢は、酸味が穏やかでコクの深い米酢に変わりました。

また、良質の醸造酢に塩を合わせるだけでした。

昆布を用いるすし屋もあったようですが、夏場には良くなかったようです。

江戸前でも本場と言われる下町のシャリの味は、山手よりも塩がきいて辛口が当然と教えられていたようです。

現在のシャリの作り方

現在は、酢・砂糖・塩で作られているかと思います。

酢の変化もありますが、戦前は飢餓に近い状況が続き、甘味が渇望されたと言われています。こうした嗜好の変化もあり、すし屋が砂糖を入れたことはお客様にも喜ばれたようです。

オススメのシャリの作り方

酢・砂糖・塩などを混ぜた酢があるかと思いますが、できているものを利用するよりも、自分で作ることをお勧めします。

まとめ

現在と昔では「酢」の作り方自体が違い、戦後、砂糖が渇望されたこともあり、シャリの作り方に変化が出ています。

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